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飯岡陸 「スペクタクル後」の網目を辿る──第14回恵比寿映像祭について

飯岡陸 「スペクタクル後」の網目を辿る──第14回恵比寿映像祭について

三田村光土里《Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう》2020年、ミクスト・メディア・インスタレーション

映像というカッコにあえて入れてみることで、はじめて見えてくるものがあるはず──何かを限定するためではなく、いろんなものを出し入れして、よく見てみるためのカッコです
──「恵比寿映像祭とは」より(*1)

 

「スペクタクル後」をテーマに掲げた第14回恵比寿映像祭は、体制を新たにしたものの(*2)、ロゴを説明する一文が示すように、現代の映像環境について再考を促す批評性は健在で、現代美術/実験映像/映画の領域を横断した重要な映像祭がこのように続いていることを頼もしく思う。

今年のテーマを方向付けているのは、ゲスト・キュレーター小原真史の企画による「スペクタクルの博覧会」だ。小原の所蔵資料と東京都写真美術館のコレクションを組み合わせた展示は、1851年の第1回ロンドン万博から始まり、世界旅行の大衆化を推し進めたトーマス・クック社、非西洋圏から連れてこられた人々や動植物を展示する「原住民集落」や見世物小屋、さらには敗戦から1964年の東京オリンピックへと向かう日本を振り返る。絵葉書をはじめ大量に並べられた資料は、ヨーロッパで始まった博覧会と当時の映像技術が、いかに植民地主義と共犯関係にあったのかを私たちの目前に晒してみせる。またその視線は西洋から非西洋へと向けられただけでなく、女性や「フリークス」と呼ばれる人々に向けられたものでもあり、日本もまた1903年に「学術人類館」でアイヌや台湾高砂族をはじめ様々な人々の「展示」を行っている。

 

小原真史企画「スペクタクルの博覧会」会場風景 撮影:井上佐由紀

 

《ヴィサヤ族、フィリピン村(セントルイス万国博覧会)》1904年 個人蔵

 

《学術人類館(第五回内国勧業博)》1903年 個人蔵

 

私たちはこうした歴史をいかに引き受けたらよいのだろうか。そのような問いが重くのしかかる。何より気づかされるのは、私たちが生きているのは、負の歴史から切り離された「スペクタクル後」ではなく、その延長にあり──アマリア・ウルマンがその身をもって示すように──インターネットやソーシャルメディアなど現代メディアの発展に伴って発達し、よりミクロなレベルで私たちに作用する「スペクタクル後」であるということだ。「スペクタクルの博覧会」は展覧会というフレームを、元来これらの陳列物が持っていたメッセージを相乗的に伝達するためではなく、その機能を括弧に入れたうえで批判的に検証するために使うことで、鑑賞者に現代の情報環境に反省的に向き合うように促す。大量の陳列物は、見世物であることから翻り、鑑賞者に否応なく自問を求める端緒としてここに置かれている。

それでは、この映像祭が「スペクタクルの博覧会」を経由して提示する、現代のスペクタクル社会に対するオルタナティヴな(複数形の)ヴィジョン(本映像祭の英語名はYebisu International Festival for Art & Alternative Visionsである)とはどのようなものなのだろうか?ここではギー・ドゥボールが率いたシチュアシオニスト・インターナショナルの方法論になぞらえてか、展望的な全体像を提示することは避けられている。「カメラ」「セルフィー」「風景」「旅」「スペクタクルの社会」「見世物」「ヴァナキュラー」「おばけ」「アーカイヴ」「瞬間」「見える/見えない」と複数のキーワードが挙げられ、鑑賞者の能動的な鑑賞を促すように、それらの要素は各プログラムのなかに編み込まれている(今回に限らず、上映やトーク、イベントが絶えず開催される映像祭の性質上、全てを鑑賞することは不可能に近い)。本稿もまた、この映像祭の全体像を捉えようとするのではなく、私の関心が蟻のように辿ったひとつの経路を描き出してみたい。

 

継承と愛

映画は、二元的な「見る・見られる/見せる・見せられる」関係のなかで語られることが少なくない。しかしときにそれらの力関係は揺らぐ。あるいはその周りには、制作を助けるさまざまな技術者や支援者、配給・上映に関わる人々、見る人の輪を広げようとする人々がいる。いくつかの上映プログラムでは、映像装置によって顕在化する共同体の姿に焦点が当てられている。

映像作家の佐々木友輔は、大学で職を得たことをきっかけに関東圏から鳥取に移住する。県内に映画館が3館しかない環境は、それまで「日々、浴びるように映画を見なければ、優れた作品はつくれない。優れた文章を書くことはできない」という世界にいた佐々木の生き方を揺さぶる。ここに住まう人たちはどのように映画を愛好しているのか。鳥取の映画館、自主上映、映画祭、大学や高校の映画サークル、映画制作に携わる人々を訪ね、その姿を捉えたのが《映画愛の現在》(2020年)だ。人々の表情豊かな語り、道すがらの風景、そしてある土地の歴史が持つダイナミズムに引き込まれる。合計5時間を超える3部作の「旅」は、その場所に生きる人々の固有性に迫りながらも、全ての映画を見尽くせない私たちは、だからこそ映画を愛せるのではないかと、胸を打つ回答に辿り着いてみせる。

 

佐々木友輔「映画愛の現在」3部作より  左:《映画愛の現在 第Ⅰ部/壁の向こうで》2020年、HD (103分)  中央:《映画愛の現在 第Ⅱ部/旅の道づれ》2020年、HD (103分)  右:《映画愛の現在 第Ⅲ部/星を蒐める》2020年、HD (107分)

 

空音央&ラウラ・リヴェラーニ《アイヌ・ネノアン・アイヌ》(2021年)は、北海道平取町二風谷のアイヌコミュニティを長い時間をかけて取材し、そこに生きる人々の営みを映しだす。本作が注意深く意識を向けるのは、社会的差別が未だ残り、その生い立ちを表明できない人々もいるなか(*3)、アイヌの文化が、ときに血縁関係を超えたものとして継承されていく様子である。また本作と「スペクタクルの博覧会」に関連して、アイヌ文化の工芸品を収集した側の記述ではなく、提供したアイヌの人々やその先祖のオーラルヒストリーを通して見つめる展覧会「アイヌのくらし-時代・地域・さまざまな姿」(北海道博物館、2021年、[群馬県立歴史博物館、2022年])が近年開催されたことも言及しておきたい。

《重力の光 ― 祈りの記録篇》(2022年)においてアーティストの石原海は、自身も生きることが困難だった時期に辿り着いた、生活困窮者支援を行う北九州のキリスト教会に集った人々とともに、新約聖書を元に映画を作りあげる。宗教という扱いの難しい主題について、石原はアフタートークのなかで「罪を犯して傷つき、何かにすがらなければ明日も生きていけないような人々が集う場所」を捉えたかったと述べていたが、イエス・キリストや十二使徒、大天使などを演じる人々は作中で衣装を脱ぎ、極道だった過去、虐待から人を信じられなくなった過去、生きることを放棄した過去など、なぜこの教会にたどり着いたのかを打ち明ける。本作もまた教会のように罪の告白と赦しのために機能しており、人間という存在の危うさ、弱さ、生きることの苦難を、なにより尊いものとして照らしだす。

 

ラウラ・リヴェラーニ、空音央《アイヌ・ネノアン・アイヌ》2015–2022年、インクジェット・プリント、3チャンネル・ヴィデオ・インスタレーション、サイズ可変 撮影:井上佐由紀 *今回は彼らの同名ドキュメンタリー映画上映とインスタレーション展示がそれぞれ行われた

 

石原海《重力の光》2021年、HD(30分)

 

アニミズム的装置と映像

ゲスト・プログラマーをジュリアン・ロスとともに務めたメー・アーダードン・インカワニットは、2018年からキュレーションと出版のプロジェクト「アニミスティック・アパラタス」を開始し、タイの農村部や近隣諸国で行われてきた巡業型の野外映画上映に着目している。それらは商業を目的とするものだけではなく、しばしば祭事や葬儀にあわせて開催され、死者や森の精霊に向けられたものであるという(*4)。本映像祭では、非人間に向けられた上映文化と東南アジアを拠点とする現代アーティストの実践を結びつけるこのプロジェクトから、リアル・リザルディ(インドネシア生まれ、香港在住)、チューン・ミン・クイ(ヴェトナム在住)らによるアンソロジー上映と、アノーチャ・スウィチャーゴーンポン(タイ在住)による長編2作が上映された。

 

アノーチャ・スウィチャーゴーンポン《暗くなるまでには》2016年、105分

 

アノーチャの《暗くなるまでには》(2016年)は、70年代のタイで起きた学生運動を生きのびた女性と、その人生を映画化しようとする若い女性監督の場面から始まる。次第にメタフィクションが重なり、同じ場面が役者を替えて繰り返されるなどレイヤーが絡まり、迷宮のように観客を迷い込ませる。こうしたプリズムの中心となるのは、1976年に発生したタンマサート大学での学生や運動家に対する当局の虐殺事件である。土地に刻まれた歴史に対して、切り返し・モンタージュ・光学的な効果といった映画的技法を非慣習的に使うことで応答する本作は、メー・アーダードンが「アニミズム的装置」(アニミスティック・アパラタス)と呼ぶ概念の傑出した具体例となっている。

そこから浮かびあがるのは、西洋的な思考や合理的発展が排除してきた、生きている人間以外のものへの想像力を再び取り戻すためのものとしてテクノロジーを再考するという態度だ。香港のアーカイヴ・フィルムを使い、大気や天候、風景をアニメイト(魂を吹きこむ)する映像効果に焦点を当てたシャンバウィ・カウル(インドとアメリカ在住)の《Mount Song》(2013年)からも、こうした主題が明瞭に見てとれる。それらはまた、メー・アーダードンをはじめとする西洋と非西洋の文化圏を行き来する実践者による、東南アジアを始点とする戦略的文化翻訳といえるだろう。

 

シャンバウィ・カウル《Mount Song》2013年、8分

 

遠藤麻衣子《空》(会期中の17日間、連日更新されるオンライン映画として公開された) ©Maiko Endo

 

本映像祭の展示においてもまた、タイに伝わる内臓むき出しの幽霊と、日本の任侠映画、ハリウッド映画のフォーリーサウンド(効果音)を交雑させたひらのりょう《Krasue(ガス―)》(2021年)のように、複数の文化圏の実践を交差させる。また、前々回の映像祭ではオリンピック・パラリンピックを控えた東京のもうひとつの姿を風水、占星術的な想像力によって映し出した『TOKYO TELEPATH 2020』(2020年)の遠藤麻衣子は今回、オンライン上で日々公開される《空》(2022年)のスナップ的な映像において、光学的な効果と「ここではないどこか」への関心を結晶化させることで、アノーチャやカウルらの作品に呼応する(*5)。

展示室に投影された三田村光土里の《Till We Meet Again》(2013年)は、三田村自身が友人たちと再会する瞬間を捉えたもので、親密な多幸感に包まれている。2020年春に母親を看取った三田村は、これを発展させたインスタレーション《Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう》(2020年)を作りあげる。今にも崩れそうな華奢な構造体の周囲を回る鑑賞者は、紙パイプや開口部を覗き見ることで様々なモチーフと「出会い、別れ、再び出会う」ことになる。この舞台を通して三田村は、「南極観測船ふじ」と南極に取り残されながらも救出された樺太犬「タロとジロ」をモチーフに、「宇宙船が不時着した場所は、他の星ではなく未来の南極。次元が歪んだ空間で宇宙飛行士とペンギンが遭遇する」(*6)物語を作りあげた。三田村が歌う──おそらく亡き母への──「Till We Meet Again」と、停泊する「ふじ」から発される動物の鳴き声のような軋む音がデュエットする《〈Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう〉のためのサウンド・インスタレーション》(2020年)もまた、死者と非人間的なものに向けられている。

 

三田村光土里《Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう》2020年、ミクスト・メディア・インスタレーション
(写真奥は《〈Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう〉のためのサウンド・インスタレーション》2020年 ) 撮影:井上佐由紀

 

ある場所に伝わる物語を元にレクチャーパフォーマンスを行う佐藤朋子は《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》(2022年)を発表した。これは岡本太郎の都市論「オバケ東京」を起点にした長期プロジェクト「オバケ東京のためのインデックス」第1弾公演を、2面映像インスタレーションとして再構成したものだ(*7)。スライドと佐藤の身体、映像によるレクチャーは、特撮怪獣映画『ゴジラ』(1954年)を、近代化の光に怒りを露わにする母親の幽霊譚として読み替える。ゴジラのフィギュアや地図パズルを使い、顔貌を大きく映しだすなど複数の縮尺を行き来し、岡本太郎の母で小説家・歌人の岡本かの子、劇作家・演出家の如月小春らを召喚しながら、近代的な発展が排除してきた東京の暗がりを浮かびあがらせるオルタナティヴな「歩行術」を提示した。

最後に、毎回異なったテーマを掲げる恵比寿映像祭の根底に、連続した問題意識が見られることにも言及しておきたい。フェミニズム、反植民地主義、非人間的存在との協働といった関心は、今回に限らずこの映像祭で継続的に扱われ続けてきたものであり、その思考の根強さは改めて評価されるべきだろう。第14回恵比寿映像祭「スペクタクル後」は、こうした蓄積のうえで、複数の地域を横断し、映像装置を用いるアーティストの実践を通して、ある土地に根付いた記憶や共同体、近代の発展が排除してきたもの、非人間的なものを掬いだし、編み上げている。資本主義社会が排除してきた想像力を、映像装置によって再び招じ入れること。それこそがおそらく、スペクタクルの社会に抗するためにこの映像祭が提示している、ひとつの「オルタナティヴなヴィジョン」に違いない。

 

佐藤朋子《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》2022年、ヴィデオインスタレーション、56分 撮影:井上佐由紀

 


(註)

  1. 「恵比寿映像祭とは」第14回恵比寿映像祭ホームページ
  2. 従来主導してきた東京都写真美術館の映像部門担当学芸員に加え、写真部門や教育普及の担当者らとの連携を強めた体制となった。参考:カレー沢薫『ニァイズ 祝・第14回エビゾーは挙TOP一致でスペクタクル後の巻』131号、2021年11月17日
  3. こうした沈黙については、下記の重要な著作を参照されたい。石原真衣『〈沈黙〉の自伝的民族誌(オートエスノグラフィー)―サイレント・アイヌの痛みと救済の物語』北海道大学出版会、2021年
  4. メー・アーダードン・インカワニット「アニミズム的映画のさまざまな物語」『第14回恵比寿映像祭コンセプトブック』東京都写真美術館、2022年。英語版全文は下記リンクから読むことができる。May Adadol Ingawanij “Stories of Animistic Cinema,” Antennae special issue – Uncontainable Natures: Southeast Asian Ecologies and Visual Cultures, edited by Lucy Davis, Nora Taylor and Kevin Chua. Summer 2021.
  5. 遠藤麻衣子については下記の拙稿でも論じた。飯岡陸「独白としての星雲」『ウェブ版美術手帖』2021年6月5日
  6. 高橋綾子「三田村光土里《Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう》レビュー」『レポートとレビュー』2021年4月28日 また会期中公開された三田村と伊藤貴弘(恵比寿映像祭キュレーター/東京都写真美術館学芸員)との下記ラウンジトークを参照した。 「ラウンジトーク:三田村光土里(展示出品作家)」第14回恵比寿映像祭ホームページ
  7. 上演時の様子は下記に詳しい。外山有茉「目も眩む光の中で声を聴く──佐藤朋子『オバケ東京のためのインデックス 序章』評」『シアターコモンズ’21 レポートブック』芸術公社、2021年

 


 

飯岡陸

キュレーター。現在、森美術館勤務。主な企画に、2016年「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(KAYOKOYUKI・駒込倉庫、東京)、19年「凍りつく窓:生活と芸術」(CAGE GALLERY、東京)、21年「せんと、らせんと、:6人のアーティスト、4人のキュレーター」(札幌大通地下ギャラリー500m美術館、四方幸子、柴田尚、長谷川新との共同)。『美術手帖』WEB版にて2020-21年の展覧会レビューを担当したほか、『美術手帖』2022年2月号「ケアの思想とアート」特集に小論「批評としての《ケア》」を寄稿。