感覚の「綜合」が機械によってすでに演出されている動画映像においても、じつは見えているものそのものが音を立てているわけではない。横のスピーカーから音が画像に同調するかたちで再生されているだけである。それがまるで現実の光景であるかのように感じられるのは、音源が映像に近接しているから、音響システムが異なる感覚媒体を統合しているからにほかならない。だからそこにはいつも、現実の光景であるかのような感覚の余剰(「余情」と書くべきか)が残る。それはわたし自身の音響的な皮膚においてざわめいているのではない。
たわむれに視覚と聴覚の媒体をたがいに遠ざけたとき、まるで文楽のような空間が現われる。文楽では、義太夫の、喉というよりも臓腑のあいだをぬって絞りだされてくる声、その声を、その横で破き、つんざく撥(バチ)の音、そして舞台中央の人形の所作、さらにそれを操る人形遣いのひとたちの動き、それらがばらばらの所から沸きたっている。人形が振る舞うその場所から離れたところでその呻きが、その忍び泣きが、聞こえる。呻く主体、忍び泣く主体の、その身体があるのとは違う場所から声が立ってくる……。これは近代演劇では考えられない設(しつら)えである。
その設えのなかで、わたしはある日、吉田蓑助さんの舞台を至近距離で見たことがある。至近距離なのに、息づかいがほとんど伝わってこない。観客の囁きや衣擦れの音はざわざわ耳に入ってくるのに、蓑助さんという主遣いと人形、そして左手遣い、足遣いの方とがこぞって動かれるあたりは、無音の空間をなしていた。それはちょうど、写真を見ているときに音がそこから消え、写真のあるその場所が真空になったような感覚だった。 もう千回以上も演じたはずの「曽根崎心中」、あるときその天神森の段で、蓑助さんがお初の人形を遣りながらぽろぽろと涙を流したという話を聞いたことがある。それは蓑助さんの涙というより、あるいは人形の代わりというより、浄瑠璃によって編みなおされた空間そのものが流す涙だったのではないかとおもう。だれの感情でもない、空間そのものがちりちり痛んでいるのだ、と。そこには、操るひと、謡うひと、観るひとがともにいる空間に、ひとつの琴線が張られているような感覚が溶け込んでいた。まるで空間そのものがある〈情〉に打ち震えているかのような……。
義太夫の声に代わるもの、人形遣いの涙にあたるもの、はたしてそのようなものが写真にあるのだろうか。
ミケル・デュフレンヌは、言葉は〈意味〉と〈声〉の回転扉のようなもので、text(意味)とtexture(肌理)からなると述べる。言葉にふれて、〈意味〉をつかみ、〈声〉を聴く。だからたとえばひとの話を聴くときには、話を聴きそびれることがあるように、声の肌理を聴きそびれることがある。「きちんと聴いてくれない」とこぼすとき、ひとはかならずしもじぶんの言いたいことが理解してもらえないという意味で言っているとはかぎらないのだ。 だからこそ、患者とおしゃべりするばかりで、解釈をあえてしないという治療法があるのだろう。言葉の〈意味〉ではなくて、それを解除し、声の肌理をすりあわせ、撫であうような会話である。ふとここで、幼い恋人たちがたがいの皮膚を突きあい、押しつけあい、撫であう、あのいちゃつきのような遊戯を思い出す。〈意味〉の外へ、〈意味〉の前へ?
ディディエ・アンジューは、胎児にとって母胎は、声の雨に、あるいは血流の轟音に、母体のなかのさまざまな反響や共鳴に満ちあふれた空間であるという。ひとは鏡像によってじぶんの可視的な姿を知るよりもはるかに古く、じぶんを反射させる鏡としての「音響的皮膚」をもっているのだという。そしてこの「音響的皮膚」に欠損が生じると、のちにその上に重ね合わされてゆくはずの、視覚空間、触覚空間、運動空間、書記的空間など一連の空間の発達に障害が出てくる、と。
メルロ=ポンティにならって〈肉〉とでも呼びたいこの始源的な「音響的皮膚」は、〈声〉が拠って出てくる場所であるともいえる。音の不在によってわたしたちが誘引されてゆくのは、まさにそういう場所なのではないか。それは、わたしたちがそれによって在るかぎり、わたしたちが知らないわたし自身の「皮膚」のなのであり、だからこそ過少な幻聴とでもいうべき気配として、間接にしか聞こえないものなのであろう。写真という媒体を手がかりとして。
義太夫の声はもちろんテクストの声ではある。だからそこにはリズムや抑揚、つまりは節がある。けれどもそれは、〈声〉、つまりからだが立てる音でもある。そして、義太夫において、謡うことより先に、歌うこと、それが言い過ぎなら呻くことがあったのではないかとおもうのだ。〈絵〉、つまり洞窟に人類が最初に刻んだ疵と同様に、〈歌〉もまた、まずは、ふつうそう考えられているように、他者に宛てられたメッセージではなかったのではないか、と。
言葉は、じぶんと同位の者たちにではなく、まずはじぶんたちを超えたものに捧げられた。じぶんたちの思いどおりにならない超越的な存在、それに憑かれ、それに弄ばれているひとびとが、身もだえし、喉元を震わせつつ立てる音、それが元始の言葉ではなかったのかとおもうのである。祝詞(のりと)もそのひとつ、言寿(ことほ)ぐこととして、あるいは神への祈願、感謝、称賛として歌いだされたはずである。そのようなわたしたちのなかの言葉よりも古い〈声〉、いまだ言葉へと結晶しない〈声〉、それらが反響する空間へと、写真を見るときわたしたちはふと誘われているのではないかとおもうのである。