三島憲一 / MISHIMA Kenichi
1942年生。東京経済大学大学院経済学研究科教授。ドイツ哲学、社会思想史。著書=『ニーチェ』(岩波書店、1989)、『戦後ドイツ──その知的歴史』(岩波書店、1991)、『文化とレイシズム──統一ドイツの知的風土』(岩波書店、1996)。共編=『精密科学の思想』(岩波書店、1995)など。編訳=J・ハーバーマス『近代──未完のプロジェクト』(岩波書店、2000)など。共訳=テオドール・W・アドルノ『否定弁証法』(作品社、1996)、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(岩波書店、2003)など。翻訳=ヴァールブルク『蛇儀礼』(岩波書店、2008)など。そのほかに「現代思想の冒険者たちSelect」(全31巻、講談社)の編集を手がける。
Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. 日本語には幸い明確な複数がないので、ここでは「映像」を複数形として勝手に受け取らせていただきたい。
忘れがたい最初の「映像」は、子供のときにはじめて見たアウシュヴィッツの写真(なぜか私の通っていた小学校の向かい側の女子中学の廊下に張ってあった。1952、3年のことである)と並んで、ベトナム戦争の最中に政府軍の将校がベトコンとされたベトナム市民の頭につきつけていたピストルの引き金を引いたあの有名なシーンであろう。しかし、またアラン・レネ監督の『ヒロシマ、我が愛』(日本では『二十四時間の情事』という殺風景なタイトルだった)の冒頭、絡み合う男女の腕や足に延々と砂が降り注いでいるあのシーンもなんども思い出す。ヒロシマの理解しがたさを象徴するのか、言葉の空しさなのか、降り積もる記憶のことなのか。ミケランジェロ・アントニオーニの『夜』のなかで、華麗な邸宅と庭園を背景に展開する空疎な人間関係を象徴するいくつかのシーンも忘れがたい。19歳のときに見て以来、見ていないのに。
Q2. 忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. 理由は、なんだろう。共通するなにものかがあるのかもしれない。残虐行為への悲憤もあるだろう。しかし、戦後社会のヘドニズムの肯定もあるかもしれない。『ヒロシマ、我が愛』のヒロインが自称する「道徳的懐疑主義」も働いているだろう。規範的な批判と懐疑主義的ヘドニズムは矛盾しないかたちで、戦後のわれわれの世代の基調を作っているのかもしれない。
Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. マイケル・ムーアのように答えが分かりきったやり方でなく、この時代の政治の空洞化もしくは崩壊を描いた映像。いわば逆リーフェンシュタールとでも言うべき映像。