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榑沼範久

榑沼範久 / KURENUMA Norihisa
1968年生。メディア論・芸術学。横浜国立大学教育人間科学部メディア研究講座准教授。共編著=『運動+(反)成長──身体医文化論〈2〉』(慶應義塾大学出版会、2003)。翻訳=ハル・フォスター編『視覚論』(平凡社、2000)、マーティン・コーエン『倫理問題101問』(筑摩書房、2007)。論文=「自滅するヴィジョン」「音響による人体の爆撃」「フライトシミュレーターのヴィジョン」「視覚の身体文化学」「〈家族なんてないと想像してごらん〉と歌わなかったジョン・レノン」「知覚と生」など。

Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. チャールズ・イームズとレイ・イームズの「パワーズ・オブ・テン──宇宙の事物の相対的サイズを扱う映画企画のためのラフ・スケッチ」(1968)と「パワーズ・オブ・テン」(1977)。人体というMサイズの事物からLサイズの風景、XLサイズの地球を経て、XX…Lサイズの宇宙にまで上昇し、再びMサイズの事物に戻ったあと、XX…Sサイズの素粒子まで下降していく、あの映像。スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』(1968)の陶酔的移動映像と並んで。脚を負傷した人(M)を部屋(L)や大地(XL)と接続しなおす「レッグ・スプリント」、あるいは、映画やTVを観る人(M)・足を休める人(M)・机上で作業する人(M)・食事を囲む人(M)を部屋(L)に接続しなおす椅子のデザインなど、異なるサイズの事物を接続していくイームズの実験の一環として忘れがたい。

Q2.  忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. チャールズ・イームズ(1907〜78)の同時代人ジェームズ・J・ギブソン(1904〜79)は、われわれ動物が知覚・行動している環境の特徴を「中くらい」のサイズと規定した。「パワーズ・オブ・テン」を観るたびに、このギブソンの言葉もよみがえる。「物理学の世界は、原子から地上の物体をへて銀河まで、あらゆるものを含んでいる。これらの事物は異なるレベルのサイズで存在し、ほとんど想像できないほどの両極端にまで行きつく。原子や素粒子の物理学的世界は、1ミリメートルの100万分の1以下のレベルで測定される。星や銀河の天文学的世界は、数光年以上のレベルで測定される。こうした両極端のいずれも環境ではない。環境が存在するサイズのレベルは中くらいのレベルであり、ミリメートルやメートルで測定される。地球にある日常の見慣れた事物は、このサイズなのである。両極端にくらべて、じつに狭いサイズの幅ではないか」(『生態学的視覚論』1979[翻訳は引用者による])。

Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. ピンク・フロイドの曲「Sheep」(1977)とミシェル・フーコーの言葉「牧人=司祭型権力」(1978)が響くなか、多数の羊たちが「バー(ネイズ)」「バー(トルビー)」「メー(ルヴィル)」と啼きながら、牧草と一緒に犬や羊飼いを静かに食べ、こちらを見返してはバラバラに地下に潜り、体毛をスクリーンにしては太陽を投影しながら宙を飛んでいった、ある日の夢の映像(の全体)。

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