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STATEMENT
本作の主人公、新潟水俣病安田患者の会事務局長である旗野秀人さんは、20代で水俣病の患者運動の支援者となった。ドキュメンタリー映画《阿賀に生きる》(1992年/佐藤真監督)の発起人でもあり、「冥土のみやげ」企画という“文化運動”を一人で続けている。映画の公開から30年近く経過し、佐藤監督がこの世を去ったいまも、旗野さんは毎年5月4日に《阿賀に生きる》を上映し、亡くなっていく患者や関係者たちを偲ぶ追悼集会「阿賀の岸辺にて」を開く。東日本大震災後に《阿賀に生きる》を観て影響を受けた私は、2013年より追悼集会へ参加するようになり、この会を主催してきた旗野さんに惹かれ、カメラを向け始めた。次第に阿賀野川流域の風土や、新潟水俣病が現在どのように語られているかを知りたいと思い、2022年より新潟へ移住し撮影を継続してきた。
旗野さんが支援してきた患者たちは、その多くが水俣病と認定されず、地域の中でも差別を受けてきた。被害者であることを認められずに旅立っていく人々を見送りながら、「水俣病になっても生きていてよかった」と言ってもらえるよう、旗野さんは本当の支援とは何かを模索し続けてきた人だ。あの世に逝ってからも付き合いをやめない、死を別れとはしない。
追悼集会の名称である「阿賀の岸辺にて」は、旗野さんが新潟水俣病に関わり始めた頃、ガリ版刷りで最初に作った聞き書き集『あがの岸辺にて』と同じタイトルである。文化運動の原点と、今も途絶えない弔いの場を結ぶこの言葉は、地域に根差しながら患者一人ひとりに寄り添ってきた旗野さんの50年の時間を表しているものだと思った。また私には、阿賀野川のほとりに集った人たちが再会の約束をする言葉のようにも感じられ、作品のタイトルに拝借した。春を迎える度、この世からもあの世からも人が阿賀へ集まってくる。この賑やかさの中でこそ、記憶が受け継がれている現実に希望を抱きながら撮り続けた。
ABOUT THE WORK
小森はるか《春、阿賀の岸辺にて》2025年/64分54秒
上映スケジュール(PDF)