1991年、イラクのクウェート侵攻で始まり多国籍軍の空爆によって急速に終結した戦争を受けて、ジャン・ボードリヤールは「湾岸戦争は起こらなかった」と述べた[*1]。それから10年後の2001年、世界貿易センターを崩落させた同時多発テロ事件を受けて、スラヴォイ・ジジェクは「現実界の砂漠へようこそ」と述べた[*2]。さらに10年経った現在から振り返ると、この2つの発言は、カタストロフの映像をめぐる発言として呼応しあっていたことに気づかされる 。
物議を醸したボードリヤールの発言は、けれども、戦地から遠く離れ、テレビ報道の映像を通して戦況を知らされた視聴者の経験をむしろ率直に反映したものであった。テレビゲーム戦争とも呼ばれたこの戦争は、歴史上初めて衛星同時中継された戦争であった。暗闇に飛び立つステルス爆撃機、夜空に輝く無数のミサイル、目標を追尾するミサイルのレーダー画面などの連日報道された映像は、テレビ画面を前にした視聴者にとって、まったく現実感を欠いたものであった。それらはまさしくボードリヤールが規定した意味で、ハイパーリアルな世界におけるシミュラークル、すなわちオリジナルを欠いたコピーのように映ったのである。もちろん、私たちはこれらのスペクタクルの背後に、「クリーンな戦争」というイメージを植えつけるための報道管制が敷かれていたことを知っている。けれども、その知識は、テレビ画面に釘づけになり、焦燥感を感じながらもそれを現実の戦争として実感できない、という視聴者の経験を払拭するものではなかった。
2001年9月11日のテロ事件は、歴史上初めて──おそらくただ一度限り──衛星同時中継されたテロ事件であった。一機目から十数分遅れて世界貿易センタービルに突入する二機目のハイジャック機、そして、しばらく後にあいついで垂直に崩れ落ちるツインタワーの姿は、世界中の無数のテレビ受像器の前で目撃された。「まるでハリウッド映画のようだ」などと語られたとおり[*3]、この映像もまた現実感を欠いてはいたが、視聴者の経験は湾岸戦争のときとはまったく異なっていた。9.11テロ事件は起こった(もちろん湾岸戦争も起こっていた)。そして、それは私たちが住まう資本主義世界のただなかで起こった。9.11は、ハイパーリアルなスペクタクルをそっくりそのまま現実のものとして突きつけたのである。
「現実界の砂漠へようこそ」というジジェクの発言は、よく知られているとおり映画《マトリックス》(1999)の台詞からの引用である。主人公ネオが住まう1999年米国の大都市は、実はコンピュータが人類を支配するために作り上げた仮想現実であり、そこから荒廃した現実へと連れ出されたネオは、抵抗軍を率いるモーフィアスにこの言葉を告げられる。イメージと現実がそっくり反転したこの物語世界に類比する経験を、9.11のイメージは与えた──これはイメージにすぎない、けれどもこれが現実である。
ひとたび現実から引き剥がされたイメージが、現実から乖離したままで現実として回帰して現実を飲み込んでしまう、こうしたイメージ経験の2つの段階をボードリヤールとジジェクの10年を隔てた言葉がそれぞれに言い当てていたとして、さらに10年後の東日本大震災を経て、こと日本にかぎって言えば、このようにしてイメージについて語ること自体がこれきり現実味を失ってしまった、という実感がある。それだけではなく、このように10年単位で歴史が進展していくかのような語り方自体――むろんそれは私が作った物語である――に欺瞞を感じざるを得ない。まずもって今回の災害は、戦争でもテロでもなく自然災害である。二次災害として引き起こされた原発事故が別の問題を突きつけているとはいえ、自然災害はその本性上、歴史の発展段階には属していない。それは、人間の歴史とは根源的に異なる時間性の到来なのである[*4]。とするならば、それをイメージというきわめて人間的な経験によって包摂することなどできるはずがないではないか。途方もない自然災害を前にして、イメージの力はひたすらか弱く、スペクタクルやシミュラークルやハイパーリアリティといった言葉は虚しく響くばかりに思えるのである。震災をイメージ経験として語ることはやましい。
しかしながら一方で、大阪に暮らす私も含めて、被災地から離れた日本の地域に住む人たちは、東日本大震災をもっぱらイメージ経験として経験した、ということがある。3月11日から数日間、テレビの放送時間がどのチャンネルも震災報道で埋め尽くされ、画面から目をそらすことができずにカタストロフの映像を洪水のように浴びせられた経験は、端的に身体的な次元で強度の負荷をともなう経験であった。(そして、そのことが震災のイメージ経験をなおもやましいものにしてしまう。近年にかぎっても、スマトラ島沖(2004年)、パキスタン(2005年)、四川(2008年)、ハイチ(2010年)の地震は、東日本大震災をはるかに上回る規模の死傷者を出している。日本に暮らす人たちは、これらの震災を東日本大震災と少なくとも同じ水準の深刻さをもって受け止めただろうか。私はそうではなかったと告白しなければならない。)
スーザン・ソンタグは『他者の苦痛へのまなざし』において、恐怖をあおる写真は結果として観者を麻痺させて冷淡な態度を生むという『写真論』における自説を翻して、「残虐な映像をわれわれにつきまとわせよう」と説いた[*5]。けれども、どのようにつきまとわせればよいのか。東日本大震災は、少なくとも日本の言説空間においては、イメージをめぐる思考に新たな試練を課しているように思われる。その課題とは、おそらくイメージの身体的な次元を新たに問い直すことではないか。ボードリヤールの言葉もジジェクの言葉も今となっては空虚に響くとすれば、それは、イメージを受肉するこの身体のことがすっぽり思考から抜け落ちていたからではないか。そのように考えつつも、まだ私はソンタグより先に思考を進めることはできそうにない。ただし、視聴者の感受性をなぎ倒す暴力的なイメージの力に対して、遅れて到来する弱々しく人間的なイメージの可能性を信じることは許されているのではないだろうか(それをテレビ・インターネット対映画・写真といった硬直した図式に落とし込めることには反対である)。震災以降確かに芽生えつつあるそのようなイメージの実践に寄り添いながら[*6]、私自身、考察を深めていきたいと思う。
【脚注】
[*1]ジャン・ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』塚原史訳、紀伊國屋書店、1991年。
[*2]スラヴォイ・ジジェク「現実界の砂漠にようこそ!」村山敏勝訳『現代思想』2001年9月臨時増刊号(総特集=これは戦争か)、10-24頁。以下も参照。スラヴォイ・ジジェク『「テロル」と戦争——〈現実界〉の砂漠へようこそ』長原豊訳、青土社、2003年。
[*3]もっとも、吉本光宏は下記の対談において、こうした発言は合衆国ではむしろまれであったと指摘している。吉本光宏+北野圭一「ハリウッド映画みたい——グローバリゼーション、知の制度化」『現代思想』2003年6月臨時増刊号(総特集=ハリウッド映画)、186-210頁。
[*4]この主題をめぐっては不十分ながら以下で論じた。門林岳史「書物の時間、人文知の震動——ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震』」『現代思想』2011年7月臨時増刊号(総特集=震災以後を生きるための50冊)、120-123頁。
[*5]スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、2003年、115頁。スーザン・ソンタグ『写真論』近藤耕人訳、晶文社、1979年も参照。
[*6]私が接した範囲内から2つだけ、8月の福島での上映会に始まり東京、金沢を巡回している映画祭Image.Fukushima(http://image-fukushima.com/)と、山形国際ドキュメンタリー映画祭の特別プログラムとして10月に開催され、1月に神戸で上映予定の東日本大震災関連のドキュメンタリー映画上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us(http://www.yidff.jp/2011/program/11p8.html)を挙げておく。