歌の起源、ギリシア神話によればそれは、最高神ゼウスと記憶の女神ムネモシュネーとのあいだに生まれた9人のムーサ(詩神)たちにあるという。詩人たちをして歌へと駆り立てるのは、まさに彼女たちから与えられる霊感である。だが、それだけではない。ギリシア神話にはまた、謎めいた別の原初の歌い手が登場する。セイレーンたちである。
ホメロスの『オデュッセイア』(第12歌)によれば、上半身は女で下半身は鳥の姿をしたこの海の怪物は、「すき通るような声で歌い、人の心を魅了する」が★1、ひとたびその声を耳にするや、待っているのは死にほかならない。死とも踵を接しているほどに抗しがたい歌声の魅力。それゆえセイレーンたちの周りには、白骨と化した船乗りたちの屍骸がうず高く積まれているのだ。
だが、それにもかかわらず(それゆえにであろうか)、その「神変不思議な」歌声を聞きたいと欲したオデュッセウスは、魔女キルケーの忠告どおり、部下たちには蜜蠟で耳栓をさせ、みずからは帆柱に手足をしっかりと結わえさせて、果敢にもセイレーンの島へと近づいていったのだった。結果や如何。見事、幸運にも英雄はこの難事を立派に切り抜けることに成功する。

トロイア戦争を辛くも生き延びたこの英雄をして、改めてその命を賭してまで聞きたいと望ませた歌声とは、死の危険とも隣り合わせの歌声とは、いったいどのようなものだったのだろうか。
歌声の魅力あるいは魔力を象徴するこの神話は、しかし、一見そうみえるほど単純ではない。ホメロスはセイレーンにこう言わせている。「わたしらは、アルゴス、トロイエの両軍が、神々の御旨のままに、トロイエの広き野で嘗めた苦難の数々を残らず知っている。また、ものみなを養う大地の上で起こることども、みな知っている」と。つまり、セイレーンもまたムーサと同じように、トロイアでの出来事すべてを見知っているというのである。
するとどういうことになるだろうか。ホメロスは一方で、ムーサに霊感を得ながらこの『オデュッセイア』を歌っている。だが、他方で彼は、セイレーンの歌声をも聞きたがっているのである。要するに、たとえ命を落とそうとも、セイレーンに魅了されたいと欲しているのは、主人公のオデュッセウス以前に、ほかでもなくホメロス自身だ、ということになるだろう。「蜜の如く甘い声」とは、彼自身がそうありたいと望む声のことにほかならない。もしもそうだとすると、この叙事詩人の心を引き裂いている、セイレーンとムーサとはいかなる関係にあるのだろうか。
ムーサの声は詩人たちに与えられるが、セイレーンの声は島に近づいてくる船乗りたちに向けられている。ムーサは詩人に霊感を与えるが、セイレーンは人に死をもたらす。が、歌われるのはどちらも、「トロイエの広き野で嘗めた苦難の数々」であり、「大地の上で起こることども」である。とすると2つの声は、ちょうど裏返しの関係にあると考えられるだろう。セイレーンの声はおそらく、その内容を超えて、あるいはその手前で、音声それ自体のうちに人を「惑わす魔力」がそなわっていたのだ。ことによると、叫びとも吐息ともとれるようなものに近かったのかもしれない。ちょうどわたしたちも、すぐれた歌い手の囁きに魅了されることがあるように。


★ 1──ホメロス『オデュッセイア』(松平千秋訳、岩波文庫、1994)