近藤龍人 / KONDO Ryuto
1976年、愛知県出身。大阪芸術大学映像学科卒業制作として作られた山下敦弘監督の『どんてん生活』(99)に撮影で参加。以降、『ばかのハコ船』(02)『リアリズムの宿』(03)『天然コケッコー』(07)『マイ・バック・ページ』(10)など数多くの山下作品でキャメラを回す。その他に撮影を担当した主な映画作品は『ノン子36歳(家事手伝い)』(08)『ウルトラミラクルラブストーリー』(09)『パーマネント野ばら』(10)『海炭市叙景』(10)『さや侍』(11)『トーキョードリフター』(11)など。
Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. 映画『モスラ対ゴジラ』
Q2. 忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. 忘れがたい映像はたくさんあるのですが、ありすぎてひとつを選ぶことができないので、初めて映画館で観た映画ということで挙げました。
実は映画の内容はほとんど覚えていないのですが……たしかリバイバル上映で、併映が『ドラえもん のび太の恐竜』でした。映画館の暗い空間の中で、みんなでひとつのスクリーンを一緒に見つめているのが心地よかった思い出があります。その感覚に魅かれて、映画が好きになりました。作り手の表現や情報の記録という意味だけではなく、そうした体験も含めて心に何かを残してくれるのが、映像の力ではないかと思います。
Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. 僕にとって一番なじみのある映像はやはり映画館で観るものです。自分がキャメラマンとして関わる場合も、スクリーンにかかることを思い描きながら画を作っていきます。そして僕の世代では、いわゆる「映画」といえばフィルムで撮られたものと考えるのは自然なことでした。
僕自身、大学時代から16mmフィルムで撮り始め、『天然コケッコー』(07)では商業映画の現場で初めて35mmのキャメラを回しましたが、その後も『海炭市叙景』(10)や『マイ・バック・ページ』(11)では16mmフィルムを使って撮影をしました。16mmフィルムの持つザラザラとした粗い質感がそれぞれの作品の世界や時代に合っていると感じましたし、その味わいが好きでもあります。
ですが、デジタルビデオカメラでの撮影が主流となっている今は、フィルムで撮影することや撮った映画をフィルムで上映することは、環境的にも予算的にも年々難しくなっています。そう遠くないうちに、「フィルムで撮りたい」と思うこと自体が作り手のワガママになってしまうかもしれません。個人的にはそうした状況が寂しくもありますが、それが現実であるからには、自分たちなりにデジタルならではの作り方を見つけていかなければならないとも思っています。これまで僕たちが観てきた映画は、照明やキャメラアングル、上映するときのサイズも含めて、フィルムというフォーマットをもとに開発されてきたものです。しかしこれからはデジタルに適した撮り方や表現をもっともっと考えて取り入れることも大事だと思います。フィルムっぽい映像を目指すのであれば本物のフィルムで撮ることにかないません。フィルムにはない何か新しい文法をつかんだときに現れるものが「未だ見ぬ」映像だとしたら―それを「映画」と呼ぶかどうかはわかりませんが・・・フィルムの歴史を守りながらも、一方で失敗をおそれずに挑戦することが、これからもずっと映画を作り続けていくためには必要なのだと思っています。