野谷文昭 / NOYA Fumiaki
1948年神奈川県生まれ。1971年東京外国語大学外国学部スペイン語科卒業。同大学大学院外国語学(ロマンス系言語)研究科修士課程、立教大学教授、早稲田大学教授を経て、現在、東京大学人文社会系研究科・文学部教授。専攻はラテンアメリカ文学、現代文芸論研究。著書に『越境するラテンアメリカ』(パルコ出版)、『ラテンにキスせよ』(自由国民社)、『マジカル・ラテン・ミステリー・ツアー』(五柳書院)。編著に『メキシコの美の巨星たち』(東京堂)、『日本の作家が語る ボルヘスとわたし』(岩波書店)。訳書にガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)、プイグ『蜘蛛女のキス』(集英社文庫)、ボルヘス『七つの夜』(岩波文庫)、バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』(国書刊行会)、デスノエス『低開発の記憶』(白水社)、O・パス『鷲か太陽か?』(書肆山田)、ネルーダ『マチュピチュの頂』(書肆山田)などがある。チリ大統領賞、第13回会田由翻訳賞受賞。
Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
A. ポジティブなもの、ネガティブなもの、あるいは驚異的なものなど、いろいろあるが、それらすべての中でもっとも衝撃を受けたのが、『アサヒグラフ』1952年8月6日号に載った「原爆被害初公開」の写真。
Q2. 忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. 小学生のとき、当時確か2年生だったと思うが、家の戸棚にしまってあった雑誌を偶然見つけた。両親は、隠したつもりだったのかもしれない。開いたとたん、完全な焦土と化した広島市街や真っ黒な焼死体の写真に唖然となった。以来、規模や性格がどんなものであれ、戦争というとそのイメージが浮かぶ。火事場の光景でさえそれと結びついてしまうのだから、明らかにトラウマになっている。それでも敢えて広島の原爆記念館に行ったり、映画『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』やその舞台化された作品を観たりするのは、心のどこかにトラウマを克服しようとする気持ちがあるのかもしれない。津波の後の福島の映像をテレビで見たとき、やはり『アサヒグラフ』の写真と重ね合わせていた。翻訳した『低開発の記憶』の主人公も、映画『ヒロシマ・モナムール』やドイツの戦争の傷跡を見たことからミサイル危機と核戦争に危機感を抱いている。映像は国境を越えて想像力に訴えかける力を持っているということだろう。
Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. ビクトル・エリセの新作長編映画。エリセ監督の寡作ぶりを神話化するのもいいが、短編だけでなく、やはり長編を観たい。あとどれだけ待てばいいのだろうか。もちろんいつまででも待つつもりだ。