「強い個」のヴァラエティ

河本
そう、そこなんですよね。セオリー通りにやって直ちに頭打ちになってしまう事例はたくさんある。日本の場合、例えば戦後から1980年代頃までは外国にまだ真似ができる対象があって、取り込んでいれば何とかなるという時期が続いたわけです。しかし当然あるところまできたら、今度は自前のものを作らなくてはいけなくなる。ここで必要になるのが、平尾さんがずっとおっしゃっている「強い個」ですよね。「強い個」になるには多くの条件をクリアすることが必要です。しかも──多くの人の誤解を招かないようにしておくために言いますが──、「強い個」のパターンやモードは相当数ある。要するに「強い個」を持った人たちは個性的ですから、それがひとつのパターンやモードに収まるはずがない。「強い個」のヴァラエティ。そのようなものが、この先の日本には絶対に必要になってきます。実際のところ現在もうすでに必要なのですが、その作り方、養成の仕方を誰も知らないのですよ。セオリーをはみ出してしまう、あるいはセオリー通りにやったにもかかわらず失敗してしまう。その末に待っているのが反省文ですよ。反省文を書かせていったい何に活きると思っているのか(笑)。

平尾
僕は最近いつも思うんです。反省はしたほうがいいですけど、ほどほどで止めといたほうがええなと(笑)。反省に関して僕なりにいろいろな人にいろいろな教わり方をしましたが、なによりもゲーム中は反省なんかしている時間はないんですよ。でも反省しているプレーヤーが多い。ボールをポロっと落としてしまって、足でバーンと蹴られてトライされるとします。この時ボールを落としたプレーヤーはただひたすら反省しているんです。反省、そして後悔。「何で落としたんだろう」とか、「雨だからこういうふうにパスをしたらよかった」とか。こういうのはまだましです。もうちょっと悲観的になると、「何でよりによって俺はあそこにいたんだろう」。もっと悲観的になると、「今日俺が出る試合に限って何で雨なんだろう」(笑)。

河本
もうフィールドで考え込んでしまっているじゃないですか。

平尾
そう。でもこのケースは多いですよ。誰も少なくとも「クソ、何で落としたんだ」くらいは思います。「クソ」と思って地面を叩いているプレーヤーはまだましです。それがうつむいて、「俺はチームにとってとんでもないことをした」と、こんなことを思っている奴がいるわけです。懺悔している間、こいつは戦っていないんですよ。こんな輩がけっこう多いし、なんだかまた、周りが後悔させるように持っていく。「お前のせいで」みたいに(笑)。ボールを落とした瞬間、取られた瞬間に、どうやって取り返してやろうかと考え始める猛々しいプレーヤーがいないとゲームはまず勝てないですよね。だからそんな時は相手がいけいけで15人でプレーしている間にこちらは1人欠いているも同然、14人で戦わなければならない。こいつの気持ちを戦う土俵に引き上げて、早く15対15に持ち直すというのがすごい重要なのです。みんな順番に反省しまくってますからね(笑)。
ミスをして反省している間にも当然ゲームは動く。そういう時はどうしたって思考が働きしづらくなるし、知恵が引き出しにくくなる。ここで忘れてはいけないのが、雨が降っているという条件はすべてのプレーヤーにとって一緒だということ。相手もボールを落とす可能性が高い。その時に、待ってましたとばかりに足が前に出るプレーヤーじゃないと、ゲームは運べません。「クソ」と思うのはいいけれど、次の相手のミスを見逃すな、そのためにつねにアンテナを張っておけと。「何で落としたんだろう」なんてゲームが終わってから考えたらいいんです。それまではゲームが続いている。ここが非常に重要だと思います。

平尾誠二

感性─直感/体験─情報、そして映像

河本
そういうことも含めて、ゲームにおいて判断の速度はそのまま試合の結果を左右すると思うんですね。プレーヤーはつねに状況に対して相当な読み込みをしたり、情報処理をしている。けれども、考えたりしていたら、最小の時間単位で目に入ってくる場景に対する判断はつねに遅れてしまう。最善の選択とは考える手前で行なうことであって、どの選択肢を選ぶべきか、パッと見えるような局面があると思うんです。それが感性、直感なのです。

平尾
それってどうなんでしょう。僕は直感を信じていないわけではなのですが、直感とはすなわち経験と情報だとも僕は思っています。次はこうなるだろうというイメージがパッと見えるような経験を時々しますが、それは僕が記憶のどこかに留めている過去のいろいろな体験、あるいは体験していないけれども疑似体験のようなものとしてあるもの、自分以外の人の話から得た情報、そういうものが自分の目的達成に向かう欲望の下に一気に集結する場面があると思うんです。それを直感というふうに言っているだけであって、僕は意外にそれを現実的に見ているところがあるんですよ。

河本
なるほど。それはとても面白い。

平尾
ラグビーは機械を相手にしているのではありません。人間が相手です。ですから、相手の出方でこちらの出方が変わったりすることがある。現場では「あそこからタックルがきた。次のプレーを直感で感じて1人かわそう」というような計算は通用しない。その場面に直面した僕はたぶん、相手がスタートする時の気迫とか、顔の向きとか、それまでのプレーの傾向、そのほかの情報を自分のどこかに集めているんですよ。これを基にプレーに反応しているだけであって、何も当てずっぽうはしていないのです。ボールを受けた瞬間に、相手が動く映像が自分のなかにある。僕はいつもどこかで観察しているんです。でも今のプレーヤーにはその観察力があまりない。
要するに人間には、何かをする際に前もった動きや気配があるんですよ。それを読み取る力が河本先生のおっしゃる感性かもしれませんね。だとすればこの感性はとても重要で、相手が人間であるがゆえの駆け引きにはなくてはならないものでしょう。ただそれは、何回やってもわからない人はわからない。僕が見るところ、最近の子供たちは駆け引きが非常に下手なんです。機械ゲームに対する能力は高いですよ。新しい物の使い方、例えばパソコンの習得なんかめちゃくちゃ早いですよね。説明書をパッと読んで複雑な動きを全部こなすんです。でも対人関係における駆け引きはめちゃくちゃ下手ですよ。僕は全体として見て、この感性、駆け引きする力というのは、今すごく落ちてきている能力のひとつだと思います。ゲームをやる時に「相手が腰が引けて出てこられない、そういう時にはこう攻めろ」と僕が言うけれども、相手が腰が引けている時がどんな時かわからないわけですよ(笑)。相手の出方、気持ちのあり方などがどんどん読めなくなってきていていますね。

河本
ええ、それはもう間違いないです。