関係の多様性と経験の質

平尾
環境に目をやれば、今は裕福さが満ちています。昔は合宿をしても10人部屋なんてあたりまえだったじゃないですか。それが、僕が監督をしている頃から激変して裕福な時代になるんです。2人部屋があたりまえになり、そのうちにツインでも寝られなくなる。コンディショニングという言葉を盾にして、「いびきがうるさい。自分をベストな状態に持っていけない」とか言い出す。そうかと言って1人部屋にしてやる。こうしてどんどん対話が少なくなり、 1人の世界になる。退屈しのぎはテレビかテレビゲームか音楽で、そこには人との駆け引きは一切ない。今は家でも皆そうじゃないですか。今自分の部屋を持っていない子供ってほとんどいないですよ。少子化が進み、全員自分の部屋があって、人と接しなくていい。昔はよくても兄弟で1部屋、人と接しない時間なんてまずありませんでしたよね。

河本
昔はそれが普通でした。家に帰ったら鞄を放って、すぐ皆の所に遊びに出かけていたんですから。

平尾
あれは、裕福な時代ではなかったがゆえにあった能力のひとつですよ。いびきがうるさくて寝られなかったら、僕らの時代では死んでますよ(笑)。いびきがうるさくて昨日は寝られなかった、というのが1日や2日あるかもしれないけれども、10日間続いたらそれは死ぬ。だから絶対に寝られるんです。そんなことはただ単に慣れの話です。わーっとしゃべって、自分の居場所を作って、俺がいたらこの話はしにくいんだなと思ったら席を外す。こんなやり取りがたくさんあった。今は1人でいる時間が長いから、こんなことができない。単なる世代論ではなく、これはある大きな局面を迎えているなと思ったりするのです。

河本
やはり若い社員を見ていても、そんな感じはありますか?

平尾
上手くは付き合いますよ。でも一番できないことは、衝突してそれを解決することですね。うわーっとやり合うけれども、その1時間後には肩を叩いてる、なんて光景は今は難しい。

河本
それも選択肢の多様性に関わることです。付き合いさえもどこか機械的にやっている。パターン化しているんですよね。

平尾
僕も時々かわいそうやなと思ったりするんです。チーム内でも皆仲よくしているように見えるけれど、本当にそうかなと思ったりします。指導者も昔は伏見工業の山口良治先生みたいに厳しいけれど暖かい人がいた。今はものわかりのいい指導者が多い。ミスしても怒らないし、優しいんです。でも冷たい。厳しさと暖かさがある環境のなかでいろいろな関係性を構築することが、大人になっていくひとつのプロセスとして必要かなと思いますね。

河本
物わかりがよい、わかってしまうというのは、能力のごくわずかしか使っていないことの表われでしょうね。逆説的だけれども、考えてみればすごく普通のことです。わかるというのは本来そんな簡単なことではありません。人間というのはもっと幅広い経験を持っているし、それに基づいた生活をしているはずです。それなのに、お互いに簡単にわかり合える水準のところで能力を出すことしかしていないのではないか。そういう感じがあります。

平尾
そういうことも含め、最近はいろいろなものを感じる機会が多いですね。ともかく人間は深く考える力を持っていて、深く観察することも、繊細に感じ取ることもする。やればやるほどそういうものが出てくるところがすごいわけです。けれども、どこかでもうやらなくていいと判断してしまっているのか、それ以上やっても仕方がないとあきらめているのか。もっとできるはずだと思うんですけどね。

河本
個々の本人は本性上ある安定した枠の内側にいたいのですから、いつもとは違う経験をさせることから始まるのでしょうね。ラグビーでいうと、サントリーが後半の20分が過ぎたあたりから、永友洋司がスクラムハーフに入って突然スピード速くなる。一挙に速度チェンジを仕掛けて、「何を始めたんだ」と混乱を起こす。そういう時期が何年かあり、後半20分になったら永友が出てきてスピードを上げていくスタイルが定着した。定番が生まれると、次に経験の質を変えていく時にはさらに工夫をして提示していかなければなりません。次々と経験のパターンやモードを切り替えて繰り出せるような選択の潜在性をもったような経験を作れないのかなという思いはいつもあります。場合によっては、本人が気が付いた時には違う経験まで行っていたという形までデザインをしておかないといけないのかなと、という思いもあります。

平尾
そうですね。ある程度そういうところまで予測したうえでのことかもしれません。

河本英夫

瞬間の映像、関係の映像

河本
平尾さんのラグビー理論はいろいろなところに書かれていますが、スペース作りが起点になっています。例えば平尾さんが動き始めると、 2、3人が止めようとして寄ってくる。すると必ず平尾さんの動きに合わせてスペースができていく。ディフェンスからすると、このスペースは精確に動いたことによってできたスペースです。だから彼らは正当なことをやっているんですよね。それを意識的に作り出す動きが平尾さんの頃にはっきり出てきた。ああいう作戦の見事さは面白かった。

平尾
ディフェンスが寄るのは、そこに「脅威」を感じるからです。だから、危ないと思わせなければいけない。初めからこうくるんだなと思うと、危なくないわけです。意外な動きで自分に注意を引き寄せる。その動きのなかでスペースができるのであって、だから僕に危険性がないといけない。体の向きを変えるだけでスペースはできるわけです。それに対してこちらはすぐに反応して、次の場所にボールを運ぶ。それだけの単純な発想です。

河本
しかし最初に見るとすごく新鮮ですよ。

平尾
─僕らは意外とそんなことはあたりまえに思っていた。だから言いましたでしょ、ミスをして考え込むほど無駄なことはないんです。別にグラウンドが広くなったわけでもないし、相手が20人になったわけでもない。同じフィールドにいて相手が15人で守っているということは間違いない。そのなかでこちらがどこにスペースがあるかなと探し始めると、相手も守るのが簡単です。「俺がスペース作ったるわ」と動けば、絶対自分にディフェンスが集中する。集中するから、ちょっとスペースができる。こういうことです。スペース普遍の法則です。

スタッフ
今日はイメージの力、映像として把握する試合の流れ、そして直感、予期・予測といった話が出てきました。最後に、今お聞きしたディフェンスと対峙するその瞬間の判断について平尾さんにお聞きしたいと思います。先に、ボールを受けた瞬間に、相手が動く映像が自分のなかに浮かぶとお話され、その感覚を磨くには、観察力や感性など、他者とのいろいろな関係性の経験を積むことが重要だとおっしゃいました。さらに今のお話ですと、自分が誰かの動きやひとつの焦点に反応しているところを誰かに見られている。自分はそれにリアクションしているという関係があるわけですね。言い換えれば、相手の視線も自分のものとして幾重かに組み込んでいくということかと思います。試合においてリアクションを返していくという経験は、やはり単独の視線では積み上がっていかないものなのでしょうか。

平尾
それはものすごく面白い話ですね。自分が見ている映像だけではなく、相手が見ている自分の映像というものも自分で作れないとだめですよね。自分の動きが脅威であるかどうかというのは相手の視点でしか捉えられないわけで、自分勝手に思い込むことはできない。さらに、相手の持っている能力も測りながら自分のプレーをどう思っているのか、その結果自分をどういうふうに恐怖に思っているかを予測する。そういうものを複層的に重ね合わせなければ、本当の意味での確率の高い情報にはなりません。
予期的な映像はつねに関係性のなかでしか立ち上がらない。それはすごく不思議な世界でもありますが、間違えなくひとつの能力だと思います。

河本
ものすごくたくさんの身体的なサインを使っていましたよね。例えば、黒目の動きだけで1人かわしたとか。

平尾
ええ。しかしそれも関係性のなかでこそできることです。つまり、相手にしてみればサインを読めてしまったから僕を倒せなかった。逆に言うと、わざとらしいフェイントまでやらなかったら動かない鈍感な奴もいますから、相手の反応する能力に合わせてサインを出していくわけです。

河本
今日お聞きした話のなかには、運動訓練のなかの認知能力の活用の仕方について、多くの示唆が含まれているように思います。運動のエクササイズのなかでは、訓練のなかで運動そのものの反復訓練に一生懸命になってしまう傾向があります。それは過度に生真面目にやってしまうという印象をもつほどです。むしろ経験の仕方を変えていくために、イメージや予期あるいはイマジネーションのような認知能力の活用が必要であることは、とても重要な示唆だと思います。それは日常のなかでもそれぞれの個の創意・工夫を引き出すためにも重要な点だと思えます。本日は実りあるお話をありがとうございました。

2008年12月11日
東京都写真美術館