INDEX
槇文彦

槇文彦 / MAKI fumihiko
1928年生。建築家。槇総合計画事務所主宰。作品=《ヒルサイドテラス》(1969─)、《沖繩海洋博覧会水族館》(1975)、《スパイラル》(1985)、《幕張メッセ》(1989)、《東京体育館》(1990)、《風の丘葬斎場》(1997)、《ワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部》(2006)など。著書=『記憶の形象──都市と建築との間で』(筑摩書房、1992)など。共著=『見えがくれする都市──江戸から東京へ』(SD選書、1980)など。
http://www.maki-and-associates.co.jp/index.shtml

Q1.  あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
Q2.  忘れがたい映像について理由を教えて下さい
Q3.  あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. ジャック・タチの『モノアンクル』(『ぼくの叔父さん』1958)。この映画の中に昭和初期の典型的なモダニズム住宅──様々な四角い開口を持った白い箱の家が登場する。その開口部の背後は階段になっているのだろうか。人影が現れ、消え、また上段の開口に現れる。
東京都写真美術館と谷を隔てて古くから長者丸という閑静な住宅街が広がっている。その一隅に昭和初期のモダニズムの傑作の一つ、土浦亀城自邸が建っていた。十年程前私が道路側からこの建物を鑑賞していたら、偶然夫人の帰宅にぶつかった。彼女が前面階段をのぼり、サイドの呼鈴を押すと、人影が現れ、やがて二人の像が道路に向かって大きなガラスの開口の背後に現れる。一緒にテレビでも見ているのだろうか。二人の静止した像。
タチはここで初期のモダニズムが掲げた透明な壁がつくり出す「見る、見られる」の関係性を見事に描き出しているのだ。同じ映画のもう一つのシーン。白い箱の玄関前のアプローチが立派な噴水路になっている。しかし訪問客が去るとともに噴水も自動的に停止する。この家の持主は恐らく当時のプチブルジョアをタチは想定している。そして彼等によくある虚栄と吝嗇の隣り合わせ。しかし我々は最近近づくと動き出すエスカレーターに出会う事がしばしばある。数十年後吝嗇は「エコ」に止揚されたという時代のアイロニー。
都市生活の背後に常に立ち現れる建築がもつ社会性を深い教養と機知をもって描き出してくれる映像がもっと欲しい。一建築家からの期待。

INDEX