クリストフ・シャルル / CHRISTOPHE Charles
1964年フランス生まれ。メディアアートを専門に、現代芸術における理論的・歴史的な研究を行いながら、内外空間を問わずインスタレーション及びコンサートを行い、それぞれの要素のバランス、独立性及び相互浸透を追求している。「日本の映像芸術−ビデオアートを中心に」をテーマに、1996年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。1997年、フランス国立東洋文化東洋言語研究所大学院博士課程修了。2000年より武蔵野美術大学映像学科准教授。環境芸術学会理事。
主な作品=CD作品:「undirected」シリーズ(Mille Plateaux, Subrosa, CCI, ICC, Code, Cirque, Cross, X-tractレーベルなどでリリース)。パブリックアート作品:大阪市住まい情報センターモニュメント(山口勝弘監修)音響担当、東京成田国際空港第一ターミナル中央アトリウム常設サウンドインスタレーションなど。また、山口勝弘、山本圭吾、風倉匠、Henning Christiansen、逢坂卓郎、向井千恵、古館徹夫、武井よしみち、oval、半野善弘、Numb、石川ふくろう、JOU、久保田晃弘、渋谷慶一郎等とのコラボレーションを多数行っている。
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Q1. あなたにとってもっとも忘れがたい映像はなんですか?
Q2. 忘れがたい映像について理由を教えて下さい
A. 「映像」は「網膜に映されつつある像」という意味なら、記憶に残った「忘れがたい映像」は膨大にあります。しかも目を開けても閉じても、実際に今現在見えている「映像」と、記憶に蓄積された「映像」が常に重なっており、脳の中(の映像)は常に進行中なのです。映像が見える/音が聞こえる/脳が活動できる条件として、まず記憶から解放されるべきだ、とマルセル・デュシャンが述べます――「記憶の中の刷り込みを一つからもう一つ(の点)へ転送するための必要な視覚記憶を不可能にしたい」("to reach the Impossibility of sufficient visual memory to transfer from one like (point) to another the memory imprint" / "Arriver a l'impossibilite de memoire visuelle suffisante pour transporter d'un semblable (/point) a l'autre l'empreinte en memoire")。デュシャンの教えに従って、私もなるべく音や映像を忘れようとしていますが、記憶の残像と言えば、生と死に関わるものが多いです。自分が生まれた瞬間は残念ながら思い出せませんが、死ぬ寸前の瞬間を意識したのは2回以上あるのです。それは、2歳の頃に誰も見ていないところでプールに沈んだ時の水中の青色や、高速で走っている時に反対車線から真っ正面に現れた車を見た瞬間。また、息子が生まれた瞬間や、父親が亡くなった夜、それぞれ忘れがたい映像です。他に、夢に頻繁に現れる独特な「家」(という一種の「原型」?)が脳のどこかに焼き付いているかのようで、なかなか消えることはありません。
Q3. あなたにとって「まだ見ぬ」映像とはなんですか?
A. 「まだ見ぬ」(まだ見たことのない?)映像は常に見えています。言い換えれば「今」見えている映像はすべて「見ぬ映像」です。見たことがなく、特に見てみたい映像とは、人間の視界にまだないもの――例えば、ビッグバンの前の映像や、反物質の映像などです。また、他人の脳の中の映像や音を見て/聞いてみたいと思います。