岡村恵子
恵比寿映像祭は、「映像とは何か」ということを繰り返し探究することをミッションとしてきました。今年のテーマは「パブリック⇄ダイアリー」です。形式でありジャンルでもあり表現のかたちでもある「日記」を、映像と絡めて考えることは現在、有効なのではないかと考えました。
榑沼範久
この鼎談のお話を頂いたとき、私は偶然、内田百閒の『東京焼盡』を読んでいました。百閒は空襲下の東京を見届けてやろうと日記を綴ります。生死の定まらない時間のなか、「非常時」の記録と、当日の天気や飲食したもの、友人の訪問など「日常」の記録が混在しています。生きている限り物事に順序があるわけですが、本当に死ぬかもしれない状況になると、どこに向かうかわからない不確定な時間のなかに落とされる。にもかかわらず、人間には無関心に昼夜は交替し、日付だけは更新されていく。東日本大震災のときもそうでした。こうした複数の時間の混在と圧縮を読むことが、日記のひとつの「面白さ」ではないか。
坪井秀人
そもそも人間は死ぬという宿命にあるから日記をつけるのではないでしょうか。人間は死ななかったら日記をつけないと思うのです。生きられる時間に終わりがあるから、それまでの時間をとどめようとする。だから闘病記が多いのもその表われですよね。
榑沼
正岡子規の『仰臥漫録』や新聞に連載した『病床六尺』、夏目漱石の「修善寺大患日記」もそうですね。
坪井
それから、日記には金銭の問題も関わっています。もともと日記が日本人の生活の中に浸透したのは博文館(現・博文館新社)という大出版社が日記帳を売り出したのが始まりです。
明治20年代くらいからその日記帳が販売されて、多くの人が日記をつけるようになりました。それから『主婦の友』といった女性雑誌には今でもそうですが、日記を兼ねる家計簿が付録でついてきますよね。日記は家計の記録という役割も担ってきました。
けれども、それより以前はこうした家計の記録としての日記は男性がつけるものでした。家長が自分の商売のための帳簿としてつけていたものです。ヨーロッパの日記も元々そこから始まりました。日記の内容は、個人のプライヴァシーとして、個人の財産と等価の意味を担っていくという歴史があるのですが、経理の記録という日記の性格はそのことと大きく関係していると思います。
そういうことから考えても、日記は「フィジカル」なものです。そしてフィジカルなものには必ず終わりがある。「有限性のあるフィジカルなものをどうやって形に残すか」ということが、日記の本質ではないかと思います。
榑沼
何を食べたかということは文字通りフィジカルですし、日記には日付があり、天気の推移があり、お金の流れがある。そして自分が何をしたか、誰と会ったか、その人は何をしているのかなど、日記には複数の時間や尺度をもったフィジカルなものが図らずも共存していると思います。
坪井
金銭との関わりについて特に言えることですが、日記にはまた「自己規律」という役割もあります。私なども普段はつけないのに、海外に滞在するときは、使ったお金の管理をするついでに日記をつけたりします。
日記をつけるという営みには、時間の進行の中で経済その他自分と外部との関係が変化していくことに対して歯止めをかけるという意味があるのでしょうね。自己規律ということで言えば、戦時中の日記には、それを書く個人を国民化させる役割を果たしていたという見方もあります。個人を国民化=主体化していくデヴァイスにもなっていたわけです。
榑沼
確かにそれは、日記を書く行動と日付という規則の両者に従属することでもありますね。「自己規律」の素晴らしい例としては、長年書きためた日記を『コンコード川とメリマック川の一週間』『ウォールデン』に編集しながら「書くこと=生きること」を実践したH.D.ソロー。あるいは、1966年1月4日から「日付絵画」を制作し続けている河原温。「日付絵画」は、その日の新聞記事とともに箱に収められていきます。作者自身の写真や発言などフィジカルなものを徹底的に消去しながら、時間を単調な反復として「無時間化」していく。いわば「死者」として「I AM STILL ALIVE」の証拠だけが提出されていきます。どこかにいながら、ここにいない。
岡村
自己規律がされたものに憧れや敬意を抱くと同時に、律することができずに「こぼれ出ていくもの」も日記の魅力のひとつであると思います。
SNSサーヴィスでは、タイムラインで書いたことが矛盾していると、突っ込みを入れられたり炎上したります。個として誠実に、自動速記に近い形で言葉を綴っていったら、矛盾していたり多面性があって当たり前であるはずなのに、整合性をとらないといけない。いまのSNSのあり方は、ある意味、「抑圧的なフォーマット」でもあるかもしれない。
日記的なものの可能性は「矛盾」や「ゆらぎ」、つまりグレーな部分にあるのではないか、「規定されていない状態」のものだからこその魅力があるのではないかという思いを、今回の映像祭のヴィジュアルで使用した矢印マーク(⇄)に込めました。
多くのものがパッケージ化され、編集しつくされた状態でサーヴィスとして提供される今だからこそ、「ゆらぎ」や「曖昧さ」、「矛盾」が生じることのリアリティにも光をあてるべきではないでしょうか。
榑沼
日記をめぐるロラン・バルトの逡巡と苦闘がありました。スーザン・ソンタグも指摘するように、バルトはアンドレ・ジッドの日記について書くことから出発し、日記をめぐる「省察」や日記「パリの夜」へと還っていく。どんな作品からも漏れてしまう事象や心象の震え。しかし、その震えを公刊する意味を最後まで疑いながら、バルトはそれでも「書くこと=生きること」に到達しようと、日記の救済を試みます。それは同時に、無意味で儚い世界、そして書くこと自体の無意味さを救済することだったはずです。 ところで、パブリックなものが日記として読まれるゆらぎにも岡村さんは関心を持たれていますよね。
岡村
今回の展示作品のなかに、戦時中に発刊されていた『写真週報』という国策グラフ雑誌があります。現代アーティストの作品とは同列に語れないものではありますが、あえていま、このテーマのもとで出品してみたくなった。
「個」の主観で書かれた日記とは違うものですが、「時代」の主観としてのイデオロギーを体現していた週刊誌をいま、イデオロギーの正しさや美しさには関係なく、読み返すことができる。そのとき、戦況の変化の記録として読みとるのか、表明された国策の記録として読みとるのか、あるいはイメージの連なりとして俯瞰するのか……さまざまな見方があると思います。
そこには名もない人たちのイメージが日記のように、しかし、その時代の意図で編集され、しかも部分的にはアマチュアのカメラマンが投稿した写真も紹介されている。タイムライン上にちりばめられたイメージの集積と、それぞれのイメージの向こう側にあったはずの個の営みを、私たちは事後的にどう読むことができるのか。「公」と「私」の隔たりや「ゆらぎ」を、読み手の側のリテラシーで埋めることができるとしたら、こういった資料を読む可能性が広がるのではないかと思います。