「無名の人々の生きた記録」を読む

坪井
戦後、特に1950年代以降になると、名前の知られた政治家や作家とかではない、無名の人々が書き記した日記に光が当たるようになりました。日記に限らず手記などさまざまな証言についても同様ですが。空襲や銃後の生活体験、震災などの災害時の日記などがそうですね。いま、再び名もない人たちの証言や記録に注目が集まっています。
 1920年代くらいに出版文化がピークを迎え、大量の読者が生まれ、彼らはそれを反復、模倣した。つまりアマチュアの書き手が増えていったわけです。そのときに育った世代が彼らの人生の中で自己表現を重ねていくという展開があったと思います。
 そのあと戦争が始まると、産業報国的な場面や教育の場面で、少国民たちが戦時体制に動員されるような過程で、普通の人たちが日記などを書いて自己表現することが推奨されたと考えることができる。その自己表現こそが「国民化」の一環であったのですが。戦後になると産業報国的運動は労働運動やサークル運動という形で継続し、イデオロギー的には反転しますが、方法論自体は連続していて、さらに大量の手記や日記が生み出されていったわけです。

榑沼
戦争や大震災などの「非常時」には、名前が奪われてしまう。知名度や才能の有無などは吹っ飛び、著名な映画監督でも写真家でも小説家でも、無名の兵士や被災者として生死の境に放りこまれてしまう。決定的に重要なのは、いつ、どの場所にいるかということでしょう。「非常時」と共存していることを実感すると、「同時代」のなかでもまったく異なる、共訳不能な時間や経験を生きている人間を意識せざるをえません。「世界」を自覚するのは、そうしたときかもしれない。それだけに、カントの言う意味での「私的」社会のコミュニケーションからは脱落する「公的」な記録、「公的」な手記や日記から問いかけられることには大きな意味があるはずです。

岡村
有名・無名にかかわらず生きている人から発せられた言葉の優劣を問わないというのは理想的ではあるけれども、一方で、公の場で残る/残されるべきものは淘汰選別される。日記的であるけれどもパブリックに開かれているものも、優劣と言うと言葉が厳しいけれども、価値づけがなされるのではないでしょうか。

坪井
誰がどのように残された古いデータを価値づけて選別するのか。それはすごく大きな問題です。
 先ほど言ったように、多数の無名の人々の日記があって、そのなかのほんのひと握りが、書籍化されたり映画館や美術館で上映・展示されたりする。その因果を説明するための根拠は、かなり危うい。僕は個人的にはデータの間に優劣はつけられないと考えています。

榑沼
救いのない酷い物語を携えて訪れた無名の農民作家の発した問いかけに、晩年の芥川龍之介は何も言葉を返すことができなかった。坂口安吾は随筆「文学のふるさと」で、この出来事を記した芥川の手記を取り上げています。そして、農民作家の書いた物語というよりも、彼の言葉に突き放された芥川の生に重要性があると書きます。人間的なモラルを超えたものに突き放される、書き手の無能性に「文学のふるさと」があるのだ、と。

岡村
読み手側の力とその営みにより、残されるべきものが残った例ですね。

榑沼
起点を作ったのは芥川ではなかったかもしれない。しかし、起点を書きとめたのは芥川だった。そして、それを坂口安吾が語り直しました。

坪井
そこで作品を残す何らかの作用が働いたとしたら、それは「編集力」というものが関係してきますよね。
 先ほど日記が「財」になるという話をしましたが、日記が半ば公共財になるというブログの考え方に近いものは、おそらく昔からあったと思います。太宰治は有明淑という十代の少女が書いた実在の日記を基に、そのプレテクストの存在を隠して『女生徒』というひとつの虚構作品を書きました。そうした作品成立の背景が知られる以前の同時代には、文学賞の審査委員や文芸時評者たちが、「これこそがモダンだ」とか「少女的なものが男性作家によって巧みに描かれている」と手放しで褒めるわけです。たとえば川端康成などもその一人でした。でも、実際には太宰の小説には、まだ年若い女の子が日記につづった素の文体がそのまま使われている。いま同じことをしたら剽窃行為と言われ、著作権などの権利問題も発生したことでしょう。
 本として活字になっている日記は、すべて編集されています。完全にオリジナルな形の収録だとうたっていっても、何らかの形で必ず編集を経ている。映像や写真の場合にはそれがもっと顕著にあると思います。
 でも、日記を読むという楽しみということなら、必ずしも整序されたものだけを読みたいというわけではないですね。整序されていないものに触れたいという欲望も、読み手側には強くあるのだと思います。

坪井秀人

日記をつけるという根源的行為とは

坪井
ところでみなさんご自身は、日記をつけたことがありますか?

岡村
私はひとつのフォーマットで続けられたことがなくて、夏休みの絵日記すら滅多に最後まで続けられませんでした(笑)。

榑沼
私は手帳を携帯して、見聞きしたことや思いついたことを書いていますが、日付を打たないことがほとんどなので、日記ではありません。2011年5月6日からTwitterを始めましたが、予告以外に何か書くときは数日前のことが多いです。これも日記と言えるかどうか。最近はあまりつぶやいていません。

坪井
僕は小学生の時から高校の終わりぐらいまで日記を書いていました。『アンネの日記』には日記に鍵がかかっていたそうですけれど、僕がつけていた日記の中にも、鍵がかかるものもありました。そんな割合に分厚い日記をつけていた。そこで書き散らしたことはもちろん恥ずかしいことばかり書いてあるわけですが、そうした恥ずかしい書き物が、いまのような仕事に入るきっかけにもなっていると思うので、自分の中では日記の存在はすごく大きいです。

榑沼
ときおり開いて読み直しますか?

坪井
その当時は読み直しをしていたかもしれませんが、今は絶対しないです。たぶん永遠にしないでしょう(笑)。今は手帳やネットのスケジュールがあって、それに書いて終わりですし、そもそも日記を書いている暇もない。榑沼さんがおっしゃったように、日をまたいで昨日、一昨日のことを書くとなると、もう書く気力が起こりません。
 ところで、日をまたがずに、その日のうちにケリをつけることは、日記の大きな特徴なのではないかとも思います。
 「いま」という時間は、原理的に取り押さえることはできません。しかし「いま」を押さえ込むことはできないとわかっているからこそ、その衝動にとりつかれて人は日記を書くのではないでしょうか。そんな儚くも虚しい欲望が日記の根底にはあるように思います。

岡村
私は、日記同様にスナップ写真を撮るのが嫌になって、まったく撮らなかった時期がありました。ですが、その頃のことはかえって今でも鮮やかに思い出される。視覚に頼らず、体感した経験としてそのときのことを思い出すからです。ただ、写真という手がかりがなくなるために、消えてしまった記憶もおそらくたくさんあるのでしょうが。

榑沼
ジョナス・メカスは『ウォールデン』(1969)、『リトアニアへの旅の追憶』(1971–72)などの日記映画や著書『映画日記』[『メカスの映画日記──ニュー・アメリカン・シネマの起源1959–1971』]で知られますが、2007年には短いヴィデオ映像を毎日インターネットで公開する「365日プロジェクト」を敢行しました。自分自身で世界を見ることを賭けて闘ってきたメカスならではの濃密な友人たちとの会話も興味深いですし、不思議と散漫ではなく、面白いです。儚く虚しい時間が、映像に滲んでいるからかもしれません。こうしたプロジェクトで狂気と陶酔に陥らないようにするのは困難とメカスは書いていたはずですが、確かに「映像を撮ること=生きること」を示し続けるのは難しい。それは「自己規律=自己変容」への闘いでしょう。日記や手帳を書き続け、読み直すことは、「生まれなおす」ことだと自分の日記に書いていたのは、メカスの「365日プロジェクト」にも登場していたスーザン・ソンタグでした。あらためて日記とは、私が私でしかないことと私が「生まれなおす」ことの接近戦の場だと感じます。

坪井
「日記する」なんていう動詞はありませんよね。でもそういう言葉があってもいいと思いますね。日記に「何を書くか」が問題なのではなく、日記を書くこと自体が目的になっている。日記それ自体が自己目的化しています。
 書くこと自体が、それがたとえ断片であっても延々と続けられていくことが重要なので、先ほどの河原さんの例も同じです。永井荷風の日記『断腸亭日乗』は、最晩年の最後の方はだんだん言葉が少なくなっていって、同じことの繰り返しになっていきます。「晴れ、正午、大黒屋」「曇り、正午、大黒屋」とか、天気とお昼ご飯のことしか書かなくなります。
 これはパソコンでブログを書く現代のわれわれの場合、コピー&ペーストすれば済んでしまう記述です。われわれは「シークエンス」として読んでいこうとするから「こんなものはコピー&ペーストでいいじゃないか」と思うけれど、荷風は毎日ペンで「正午、大黒屋」と書いている。そのアナログ的なところが、実は日記の一番面白いところなのではないか。

消えゆくものをアーカイヴする時代

岡村
一方で、自分たちより下の世代にとって、「書く」という行為は生まれながらにして「入力する」ことと同じことです。その身体性についてどう思われますか?

坪井
いまの若い世代は、自分たちの書いたものが消えていくということをより強く意識して前提にしているように思います。荷風や百閒は肉筆で書いていたので、それが消えるとは考えずに書いていた。でもブログやSNSは、データが無尽蔵にあって、有名な作家ならともかく、それをきちんと保存していくことは難しい。100年後も変わらず残っていると思って書いている人は少ないのではないでしょうか。そのことによって、言葉や映像に対する接し方がだいぶ違ってくると思います。

岡村
ペンで書く日記は、書き手である自分が選別し、ある種の編集をしているものです。一方、ヴィデオカメラで自分や街の風景などを日記的に撮った場合、撮影者が予期していなかったものが映り込んでしまうことがあります。音についても同様です。1、2年程度の経年では何の意味ももたない無名の風景が、10年、20年と長期間寝かしてみると、いろいろなものを物語るという側面もあります。機械的な記録であればあるほど、情報量の多さがある。

榑沼
予期せぬ「自生性」を持った映像記録が観客の心をとらえることについては、去年の恵比寿映像祭カタログのなかで、主にリュミエール映画を例に諏訪敦彦さんと長谷正人さんも語っていましたね(http://www.yebizo.com/jp/forum/dialogue/04/dialogue.html)。今回の映像祭でも、自分の予期しない映像や問題圏、自分の知らない映像作家を知ることができるのが楽しみです。

岡村
「アーカイヴ」の問題は、少しずつですが継続的に扱っています。美術にかぎらず歴史の分野や図書館においても突きつけられている課題だと思いますが、有名であれ無名であれ、等価に読み込むことが必要であるのと同時に、すべてを保存するのは現実には難しいという問題があります。
 意識的に残された目の前のものをどう読みとれるかという可能性が大事で、主体的に読み込む読者がいなければ、無用なものと判断されてしまいます。

榑沼
無名の人間が書いたことを歴史家が甦らせる。無名の作家の言葉を芥川が引き受け、それを坂口が語りなおす。言葉や映像の消滅が前提であればあるほど、こうした「リレー」が行なわれる回路が貴重になりますね。呼びかけられ、問いかけられる回路のための「アーカイヴ」。読み継ぎ、つなぎ直していく回路のための「アーカイヴ」。その対象が日記や日記的なものになればなるほど、有名・無名の言葉や映像が等価になる場面になればなるほど、難易度の上がる問題です。こうなると読解どころか、目にすることができるかどうか自体も、偶然性の度合いが、さらに高まらざるを得ません。極端なことを言えば、何を見ることができるかどうかは、自分では決められない。自分には選ぶ権利がない。これは「非常時」と同じかもしれない。重要なのは、いつ、どの場所にいるかということになります。しかしそれでも、出会ったものに「何か」を読みとってしまうかどうか、問いかけられていると自覚するかどうか、「文学のふるさと」「映像のふるさと」を見出してしまうかどうかは、究極的にはやはり、どのように自分が生きているかの問題でしょう。「パブリック⇄ダイアリー」の往復の質が、そこで決定的に問われることになると思います。

2012年11月10日 東京都写真美術館にて収録
撮影:松村隆史